かなママの楽しい家族ブログ
不器用だけど家族と学ぶことが大好きな東大卒ママのブログ
妊娠・出産のお話

【体験談】出血多量の出産!生死に関わる妊婦の体重管理

かなママです。

今回は私の出産体験談をお話したいと思います。
タイトルでお気づきかもしれませんが、私は肥満気味です。
お恥ずかしいお話です。

同じように体重を気にされている方は、ぜひ、この記事を読んで体重管理に力を入れてください。

妊娠・出産の経過と体重の推移

私の体重の推移をグラフにしてみました。

もともとダイエットをしている時期とダイエットをしていない時期で10kg近い差がある私です。
それにしても、妊娠をしたのは体重がだいぶ重くなっている時でした。
ここでは、不妊治療開始から出産後までの主要なタイミングで、どのような状況にあったかを振り返ります。

①不妊治療開始

不妊治療を開始するときには、身長や体重も確認されます。
妊娠前から肥満(BMI25以上)の場合は、難産になる可能性が高く、母体と胎児のリスクが大きくなります
そのため、もしこの時点で肥満と判断されていたら、不妊治療を断られたかもしれません。
きっと先にダイエットを勧められていたでしょう。
しかし、私はこの時点では、BMI25以上の基準には達していませんでした。

②妊娠時

不妊治療開始から妊娠まで約1年の間に6kgほど太りました。
その間、体重計に乗ることもなかったので、気づいたら太っていたという感じでした。

特段、暴飲暴食をしたわけではありません。
朝食はトーストなどで簡単にすまします。
昼食は同僚と外食をしますが、夜は一汁三菜を意識した手料理という食生活が基本です。
おやつやデザートも食べていましたが、普通の量だと思っています。
私は体重を維持できた試しがないので、この感覚がおかしいのかもしれませんね。

③つわりのピーク

つわりの時は気持ちが悪かったので食欲は落ちました
とはいえ、食べづわりだったため、何も食べられなかったわけではありません。
体重の減少幅は、それほど大きくありませんでした。

食べづわりについては、こちらの記事をご参照ください。

④出産時

産院では妊婦検診に行く度に体重を測定されます。
体重については、できるだけ増やさないようにと釘を刺されました。
特に出産予定日の2ヵ月前に75kgを超えてからは、これ以上増やしてはダメと毎回言われました。

おなかの子があまり大きくなりすぎると難産になるという話もされました。
この頃から赤ちゃんの推定体重は3000kg前後をずっと推移していました。

胎児の体重は頭の幅、腹囲、大腿骨の長さから推定されます
エコーをしたときの赤ちゃんの見え方や、測定する先生によっても差が出るそうです。
正確なところは生まれてくるまでわかりませんが、赤ちゃんが巨大児になるのは嫌でした。

そこで食生活に、より気を配るようになりました。
お昼は糖質0麺をよく食べていました。
おやつを食べることもだいぶ減っていたと思います。
産休に入ってからは、毎日欠かさず散歩もしていました。

⑤出産後1ヵ月

産後は赤ちゃんがおなかからいなくなります。
出産時に出血もするので、体重は減少します。
大体1ヵ月もすれば妊娠前の体重に戻ると聞いていたのですが、本当にその通りでした。
しかも、つわりの時と同じくらいまで減りました。
うれしかったです。

体重増加による弊害

妊娠期間中の弊害

出産まで残り1ヵ月という時期になって妊娠高血圧症候群になりました。
いままで血圧はいたって正常だったのですが、上が140、下が90を超えたのでお薬を飲むことになりました。
毎朝・毎夕の血圧を記録するため血圧計を購入し、結果を産院に報告しました。
様子をみる必要があるので、産院に行く回数も増えました。

出産時の弊害

速すぎる陣痛

出産予定日を過ぎても、赤ちゃんがなかなか下りてきませんでした。
そこで陣痛促進剤を使った計画分娩での出産になりました。

私は和通分娩を選んでいました。
自然分娩より痛みが軽減され、無痛よりもいきみやすいのが和通分娩の特徴です。
しかし、リスクがあるということで、あまり麻酔は入れられないと言われました

陣痛は徐々に間隔が短くなります。
普通、産まれるときの陣痛の間隔は1分くらいのはずです。
それが私の場合は、子宮口がまだ開かないのに、陣痛の間隔が10秒ほどになっていました。
これでは休む暇もありません。
ソフロロジー式の長く息を吐きだす呼吸法を実践しながら、ずっとうめいていました。

血圧の急上昇で吸引分娩に

やっと分娩室に運ばれると、助産師さんは1時間くらいだねと話していました。
初産婦は分娩室に入ってからも長いことがあるので、これは短い時間です。
それを励みに、頑張っていきみ、上手!と声をかけてもらいました。

この時は麻酔も入っていて、陣痛の痛みも軽減されていました。
会陰切開もしましたが、麻酔のおかげで痛くありませんでした。

しかし、頭が見え、もうすぐというところで血圧が180くらいまで急上昇
吸引分娩になりました。
これ以上はいきめないと思っていたので、正直なところ助かりました。

生まれてきた子は?

すぽんっと赤ちゃんが自分の中から出てきたのには、びっくりしました。
おなかの中にいたことは頭でわかっていても、実際に見ると不思議な感じです。

助産師さんが取り上げてくれ、呼吸器につながれます。
「自分で呼吸して」と声が聞こえてきて、心配になりましたが、無事に息をしてくれたようです。
足をバタバタしているのが見えました。
助産師さんは娘の体を軽く拭いて、身長や体重を測ってくれます。

生まれてきた子は2826g。
体重も身長も平均的で、3000g超という予測ははずれました。

きれいにしてもらった娘がそばに寝かされました。
想像していたより小さな赤ちゃんでした。
ママになったことを実感しました。

胎盤がはがれずに叫ぶ!

娘は無事でしたが、私の方はというと胎盤がはがれない状態が続いていました。
助産師さんが私のお腹に体重をかけ、お医者さんが器具でかきだしてくれたようです。

その処置がすごく痛くて、私は叫んでいました。
娘を産むためにいきんでいたときの方が、楽なくらいでした。
この叫び声を娘に聞かせていいのだろうかと、頭の片隅で考えていました。

その時は知識がなかったのですが、胎盤がはがれない状態は癒着胎盤というそうです。
出血多量の原因にもなるそうです。

傷口の縫合に叫ぶ!!

やっと胎盤が全部出たと思ったら、今度は傷口の縫合です。
これも、とても痛かったです。
思い出すのも嫌なくらいです。
動かないように注意もされます。
拷問のようでした。

産道血腫による大量出血で死にかける!!!

傷口の縫合が終わると、やっと休憩ができました。
しばらくの間、分娩室で横になります。
水分補給をしました。
夕食も運んできてもらい、おにぎりやちょっとしたおかずを食べました。

けれども、どうにも体調が戻りません。
傷口もじんじんと痛みます。
それを助産師さんに伝え、お医者さんに診てもらったところ、産道血腫ができていると知らされました。

私はそれが何か知らなかったので、驚きはしなかったのですが、お医者さんも助産師さんも大慌てです。
私はオペ室に運ばれました

麻酔を追加で打たれました。
意識はありました。
詰め物をすると言われましたが、どういう状態か、よくわかりませんでした。
どうやら詰め物は止血のためのものだったようです。
処置の最中、眠くなりましたが、寝てはダメと言われました。
手足が冷たくなっていき、自分でも死にそうな状態であることを実感しました

なんとか意識を保ったまま、ストレッチャーに乗せられ、ベッドに運ばれました。
もう自分では動くことができません。
頭をあげることもできません。
ぐったりです。

そのまま一晩、様子を見るそうで、眠るのが怖かったです。
このまま目を覚まさなかったらどうしようと思いました。
そして出産後のハイテンションと30分に1回の巡回もあって、ほとんど寝られませんでした。

後から、止血をしたときの産褥パッドなどの重さを測って出血量を測った結果を聞きました。
なんと出血量が2リットル近かったそうです。
これは死んでもおかしくない量です。

別の助産師さんから、この病院には輸血の設備がないという話も聞きました。

よく生きていたなと思います。
生きていて本当に良かったです。

おわりに

私、ダイエットを始めます
実はこの記事を書いている時点ではもう始めているのですが、今日ここに宣言します。

ダイエットの目的は2つあります。

ひとつは第2子を出産するためです。

こんな死にそうな目にあって、直後は次は考えられないと思っていました。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、ですね。

家族を残して死にたくはないので、次子を考えるときまでにやせたいです。
お医者さんからもそうしろと言われています。

もうひとつは、かわいい娘のかわいいママになりたいという想いですね。

ダイエットについては、また別途状況をお伝えできればと思います。
冒頭にも書きましたが、皆さんも、くれぐれもご自愛ください




最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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